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特別支援学校教員は、子ども達の支援だけではなく、授業についてや保護者対応など様々な仕事内容があります。
子どもたちの支援(実質は、介護に近いところもありました-トイレ介助や食事介助)や授業(生徒の知的発達レベルに合わせて、一人一人個別の教材を使ったり、アプローチ方法を変えたりしていました)、放課後や長期休暇中は、学校運営に関する会議(運動会や文化祭などの行事の企画や生徒たちの情報共有)や研修(教育に関するものがほとんどでした)などをしていました。
時には保護者の方の相談に乗ったり、デイケアサービスや医療、福祉との連携を図ったりすることもありました。学期末には成績を1人ずつ細かく文章にし、年度末にはそれを次期担任に引き継ぎしたりしていました。
デメリットは、サービス残業ばかりの日々であること!
先程書いた通り、放課後は会議や保護者対応の日がほとんどでした。その後に、次の日の授業準備をしていましたので、定時で帰れる日はまれでした。しかし、教員には残業手当はなく(正確には月収の0.4%…ほとんど無いようなものです)、サービス残業をしている人がたくさんいました。
また、特別支援学校という性質上、障害のある子を相手にしているので突然のトラブルも多く、その対応に追われることも多かったです。一時足りとも気が抜けませんでした。生徒たちと一緒に給食を食べるので、お昼休みもありませんでした。
また、教員ということでプライベートはほとんどなく、校区内では迂闊に買い物にも行けませんでした。教員という性質上、民間企業に勤めたことのない人も多く、公務員である自負からか管理職含め変な人も多々いました。
一番の不満は、気の抜けない日々を過ごしたこと!プライベートはほとんどなし!
私は、この仕事を経てうつ病にかかりました。全く気の抜けない日々。トイレに行くのにも、生徒を個室に引き連れていった日もありました。休日返上で生徒の発達相談についていくこともあり、もちろん休日手当や振替休日はなし。放課後は詰め込まれた会議やその会議のための準備、事後処理に追われ、授業準備する時間はほとんどありませんでした。しかし、管理職は現場の教員のことより、いかに当たり障りなく学校が日々回るかしか考えておらず、20時を過ぎると仕事が残っていても強制退社の日もありました。そんな日はもちろん、家に帰ってから教材作りで、プライベートな時間は本当にありませんでした。
周りの友達が遊びに行っているなか、どうして自分は家で教材づくりをしなければいけないのだろうと思うと、惨めな気持ちになることもありました。ちなみに教材に掛かる費用も殆どが自費でした。外に出れば生徒や保護者に会い、周りの目を気にしながらの外出にもほとほと嫌気がさしました。また、教員間での虐めも多く、その理由が若さによるものだったり、酷い時には男女関係によるものだったり。子どもにたくさんのことを教えていく立場の人間の実態を知ると、悲しくなりました。
先述の通り、私は心を病んで退職しましたが、その間のケアやアフターフォローも全くなし。退社理由はこちらの同意なく自己都合にされ、労災もなし。公務員は安定した職業というイメージですが、教員はもう懲り懲りです。